ビジョン-信条 私たちの目的は、自由な「励まし」と「勧め」の場を提供すること、そしてこの日 本でクリエイティブ(物事を新しい視点から捉える人たち)が神様にとって必要と されていることを知らせること、彼らの個性や表現力がもっと神様のために活かされるためにサポートをすること。日本社会は時折「他人とは違う」自分でいること がとても難しい環境です。そのような社会でクリエイティブは、社会のプレッシャー のために「出る杭」にならないよう個性を出せずにいます。私たちの役割は、そ んな彼らが今していることは価値あることなんだ、と励ますことです。
私たちはコミュニティー(共に生活すること)を大切にします。イエス・キリストが中 心となったコミュニティーが最善であり、、既に形成されている文化や社会組織 を活用して、そういった神様のコミュニティーが再生できることを信じます。神様は 今既に存在している物事を通して働かれ、またそうされることを望んでいるからで す。そして、東京にあるクリエイティブのコミュニティーとは、そういった既存の一社 会の一つといえます。
クリエイティブと同じように生活をし考えたりすることは、神様のために賢明に生き ることの見本となるだけではなく、真に彼らを励まし支えることでもあります。東京 が地球上で最も物価が高い!?と考えると、伝統的な方法で教会を通してフ ィナンシャルサポートを確立するのも決して悪くはないのですが、人々と同じよう に仕事をすることによって、そんなクリエイティブの人たちと「共に生きる」ための自 由が確立できるのです。
マインド・モールダー(社会においての各自の役割の形成とその活用)という考え方があります。要約すると、社会の様々な所において皆それぞれが一番影響力のある場所がある、ということです。そしてそういった自分たちの影響が反映れる「自分の持ち場」で成される日々の行動や決断が、結果的に社会全般にまで影響を及ぼすのです。私たちは、神様がこういった皆の具体的そして社会的な「持ち場」において変化を起こしたいと願っていることを信じます。クリスチャ ンである私たちが、一番効果的にこの働きをするにはどうすべきでしょうか。それ は、自分の持ち場と同じエリアに既に存在したり活躍している人たちと関わりを 持つこと、そしてまず彼らとの日々の生活やつながりを通してそれぞれの「持ち場 」にあって神様の勢力となることです。こういった「持ち場」を例えにあげると、政 府、教育、家族、エンターテイメントや芸術の分野だったりします。そして私たち の一番の「持ち場」はまず芸術(Art)だといえます。それは、神様が東京のクリ エイティブを用いたいと思っておられることを信じるからです。薫子は現在テンプル 大学ロースクールで働いているので、政府や法も次に重きを置く場といえます。 それから私(マーク)は時々テレビとか映画でエキストラ出演をしているので、少 しだけエンターテイメント(笑)も含まれますね。(アーカイブの写真は必見!?) 単純にいうと、キリストのために毎日の生活において、それぞれの持ち場でそうい った影響が生じるべきである、ということです。
私たちは、弟子訓練とは神様を知るその「過程」だと信じます。大抵の人は、 実際に過去を振り返るまでいつその「過程」が始まったのか気づきませんが、多 くの場合その過程は私たちが教会という建物に足を踏み入れたり、またキリスト を学ぶために組織化された聖書研究シリーズを始めるずっと前に、既に始まって いるのです。この弟子訓練の信条を真として、私たちは神様がいかようにして人 を導かれるのかということに対して決まった形式だけにこだわないよう心を開くこと を心がけています。そして単純に、すべてに関してまず神様を認識することに努 めます。
私たちは宣教師であり、教会を建て上げたり牧師になるのではありません。だか ら人々と関りを持つことのゴールが必ずしも彼らをグループ分けしたりなんらかの プログラムやイベントにつなげることでもありません。アーティストの人を手伝ったり することも働きの一つですが、本当に手伝いそのものが目的であって、「アーティ ストを手伝う」という行為そのものに自分たちのアイデンティティを見出すのでもあ りません。
しかし、文字通りにというわけではありませんが、実際は霊的な教会を建て上げ ることも目的としています。聖書には、私たちは神様の宮であるとあります。神 様の宮である私たちが根付く所には、教会が建てられるわけです。実り多くある ために、まずイエス様に従う人たちがもっと増やされることを願っています。そして その結果として彼ら自身が神様の宮となっていくために、私たちはこういった霊 的な教会を建て上げるのです。
私たちは、「パラチャーチ」と「チャーチ」に特別な違いを見出しません。なぜなら 聖書的にはどちらも皆教会であることに変わりはないと信じるからです。それは なぜでしょうか。「教会(チャーチ)」とは、まず単純に、神様が基本的に教会と 言われるもの、つまり教会としての目的を満たしている集まりを指すからです。キ リストである神様を共に楽しみ分かち合い、フェローシップしたり共に働いたり、そ してまだキリストを知らない人たちと共に主を分かち合うことで伝道をします。神 を愛し、人を愛することの基本が教会です。(もちろん、この箇所についてはこん なウェブサイトでは語りつくせませんので、もっと色々話されたい方は是非連絡 先のページに行って、個人的に連絡下さい。)そして、権威あるお方はイエス・ キリストのみだと信じます。私たちは、神様の教会を信じ、そして神様から与え られた賜物と信仰をもつ者の集まりを信じます。
初代教会の人々は神様の御心を理解し、地域の集まりや人々の生活を通し て必然的に神様の働きを互いに伝え合ったり、励まし合ったりしていました。私 たちは、人々がイエス様に近づくためには、定期的に決められたイベントや勉強 の形式を作り上げるだけが必ずしも良い助け手になるとは思いません。長い歴 史を通して、現在私たちが知っている文化としての「教会」が結果的に発展し ましたが、果たしてそのすべてが慎重な計画や神様の導きの下に起こったとは いえるでしょうか。現代の教会は、慣習的な形式にあまりにも依存し過ぎてい て、少人数のリーダー的な人が会衆を導き、そして教会全体の重荷を担おうと する傾向がよく見られます。そのような教会生活では、リーダー的存在である人 たちに弟子訓練や成長のアドバイスを真っ先に求めるだけではなく、信仰を分 かち合うことや他人を訓練することについても自分たちで祈って考える思考力が 劣ってしまうのではないでしょうか。人に頼ってばかりではなく、まずキリストに導き を求めることを学ぶ必要があるのです。このように神様を始めとせずに霊的な人 に頼ろうとする傾向は、古代にもあった問題で、モーゼ同様パウロもまたこのこと について何度も何度も警告をしました。もちろん人それぞれの賜物に違いや差 はあり、神様もそれをご存知ですが、キリストを分かち合うこと、祈ること、奇跡を 行うこと、そして神様のために変革をもたらすことは、誰でも成し得るのです。
こういった信条が皆さんの間でもっと深く根付くことが私たちの願いであり、個人と してまたコミュニティーとして、これらの価値観に基づいて懸命に努めることが私た ちの目的なのです。
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